一般財団法人 六行会の紹介
幕末の頃、品川の今日、六行会のある辺りは、南品川宿(みなみしながわしゅく)と呼ばれ、東海道第一の宿場として賑わっていました。住民は、宿場の仕事は 忙しく、自分の家業に従事するこもままならないほどでした。それを軽減し、凶年や不慮の災害時に対応できるよう南品川宿の地主たちが基金の積立てを始めた のが、六行会の初めです。
会の名称である六行は、人の勤むべき六つの行い「孝・友・睦・姻・任・恤」を表しています。親子愛(孝)にはじまり、兄弟愛(友)夫婦愛(睦)親族愛 (姻)隣人愛(任)そして人類愛(恤)まで、拡げていこうというもので、これこそ本会の精神です。
その後、明治維新とともに宿場の制度は廃止となり、品川宿の人たちは、それから解放されることになりましたが、折角基金で作った家作からの収益金も無駄に なってしまいます。そこで、会の先人たちは、これを有益に使うために、新しく始まった教育制度に目をつけ、これを助成することにしました。これが、現在でも 六行会の事業の大きな柱になっています。
大正の末には、町の人たちの集会のための「荏川町倶楽部」をつくり、この中に当時東京府下ではじめて「荏川町文庫」という図書館を併設しました。こうして 公益事業もふえてきて、会としての名称が必要となってきたので、大正12年には、正式に「六行会」という名称を決めました。
昭和2年、財団法人として、その設立が文部省から許可になり、昭和という新しい時代にふさわしい発足をし、昭和3年には、図書館を倶楽部から独立、建設しました。後に、品川町の東京市への併合記念として寄付し、今の品川図書館に続いています。
それから、先人たちの地道な努力により明治・大正・昭和・平成・令和と、地域のために教育助成と文化事業を進めてきました。
平成6年、本会設立150年を機して、地域の文化・教育の発信点としてに寄与したいと願い、品川区と協力して新しい総合ビルを建設、「区立図書館」と「六行会ホール」ならびに集会施設「荏川倶楽部」を新設し、平成8年、東京都教育委員会から寄付行為の変更の許可を得て、新しい展開をしてきました。
その寄付行為の事業目的にこう記されています。
「学校教育の活性化及び充実、並びに地域における文化の発展及び生涯学習の支援に寄与すること」
教育と文化を柱に、六行会は今後も事業を展開してまいります。
会の名称である六行は、人の勤むべき六つの行い「孝・友・睦・姻・任・恤」を表しています。親子愛(孝)にはじまり、兄弟愛(友)夫婦愛(睦)親族愛 (姻)隣人愛(任)そして人類愛(恤)まで、拡げていこうというもので、これこそ本会の精神です。
その後、明治維新とともに宿場の制度は廃止となり、品川宿の人たちは、それから解放されることになりましたが、折角基金で作った家作からの収益金も無駄に なってしまいます。そこで、会の先人たちは、これを有益に使うために、新しく始まった教育制度に目をつけ、これを助成することにしました。これが、現在でも 六行会の事業の大きな柱になっています。
大正の末には、町の人たちの集会のための「荏川町倶楽部」をつくり、この中に当時東京府下ではじめて「荏川町文庫」という図書館を併設しました。こうして 公益事業もふえてきて、会としての名称が必要となってきたので、大正12年には、正式に「六行会」という名称を決めました。
昭和2年、財団法人として、その設立が文部省から許可になり、昭和という新しい時代にふさわしい発足をし、昭和3年には、図書館を倶楽部から独立、建設しました。後に、品川町の東京市への併合記念として寄付し、今の品川図書館に続いています。
それから、先人たちの地道な努力により明治・大正・昭和・平成・令和と、地域のために教育助成と文化事業を進めてきました。
平成6年、本会設立150年を機して、地域の文化・教育の発信点としてに寄与したいと願い、品川区と協力して新しい総合ビルを建設、「区立図書館」と「六行会ホール」ならびに集会施設「荏川倶楽部」を新設し、平成8年、東京都教育委員会から寄付行為の変更の許可を得て、新しい展開をしてきました。
その寄付行為の事業目的にこう記されています。
「学校教育の活性化及び充実、並びに地域における文化の発展及び生涯学習の支援に寄与すること」
教育と文化を柱に、六行会は今後も事業を展開してまいります。